バレンタインが身近になった日とは?

テーマ:相互尊敬
バレンタイン誰かにあげる?

身近な人に頂くことがあるが、この時期に

ふと思い起こすことがある。

あの日の夜は土砂降りの雨になった。

待ち合わせ場所に車を止めて待機していたら、

長靴と傘を風雨にさらしながら近づいてきた。

そして友人たちのご機嫌伺いに同行し、懇談を得た。

Wさんとはこれが強い絆となる。

その後にご家庭にも訪問する機会があり関わりは、

数年を経ることになった。

当時高校生のお嬢様、奥様とも地域活動を共にすることから

親しく声を掛け合うご一家となりました。

奥様からは「あの日を境に、主人が生活と仕事も生き方が

大きく好転してまさに人生が変わったようになり、

私自身も充実した生活に一変しました。

嬉しいと同時に感謝します。」と幾たびか

お話しくださいました。

やがてお嬢様のご結婚・・・新居に夫妻でお祝いに

訪問したことも懐かしい。

ご一家の地域を担当して10年経ち自身の居住地の担当に

なったためお会いする機会がなくなりました。

ある日、サプライズで我が家にご訪問いただいたのが

W奥様でした。

近くにご主人が車で笑顔で待機、「元気にしております」

との言葉に添えて「小箱」を手渡されました。

微笑みと共に「バレンタインデーです。私の気持ちです。」

玄関先で帰られました。

それから毎年その日に、やがてお引越しされたようでしたが

その後もはるばるそのためだけにお越しいただいたようです。

部屋にとお誘いしても理由を付けていつもお帰りになりました。

「私の元気なうちは来させていただきます。」と言い切られて

お断りもできずにおりました。

ある年、お嬢様からの年賀状で「転勤後の地に母が病気療養の

ため一所に住むようになりました。」とのことでした。

そしてその夏に、「母が亡くなりました。」暑中見舞状に・・・

5年間、感謝の想いをバレンタインにつなげて女性の優しさと

私とご家族のとの出会いを幸いとして「心を届けて」頂いたことは

一生忘れない嬉しい”バレンタインデー”を共感できる思い出です。

それから数年を経て所在が分かったご主人宅を訪問でき追善法要を

させて頂きました。

お互いに年を重ねたねえ~とハグしてあの日あの時を確認しました。

その日「お供え」はやっと届けた感謝の気持ちを添えて

”ホワイトデー”クラッカーの実現でした。

人生は善き出会いで幸せが大きくなります。

この世で出会った人々に感謝の心を大切にすれば、

悔いなき人生となると信じています。

by 心とからだのカウンセラー 石井 寛

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