画家になりたかった頃?

テーマ:感受性

ブログネタ:小さい頃の夢は何だった? 参加

あれは小学校の4年生の図工の時間だった。

紙面いっぱいに色を塗りこんでいたばかりで

造形にはなっていなかったようだ。

「これが絵か?」と教諭は言ったのを鮮明に記憶している。

傷ついたほどではなかったが、これが絵か!はその後に

影響したことは事実だ。

その日以来、他の学科をそっちのけで絵ばかり

描くことになったからだ。

当時の漫画にも人並み以上に興味を持ち、具体に多くの

作家の名を上げることは今も可能です。

手塚治虫画伯に映画を作ってください。と目立つように

グリーン色のインクペンでハガキを出したくらいだった。

ノートや教科書の空きスペースに今で言えばイラストだが

当時の教諭の目にはただの落書きで、通信簿には厳重注意が

いつもの事だった。

そんな中でコンクールで入選したり、写生中にプロの画家が

手を入れてくれたり様々あったが他の成績は劣等生そのもの

でした。漫画の書き殴りが夢中で、今だったら弟子入りして

でも画家か、漫画家等の道もあったかもしれない。

美術コースを望んだが、”絵で飯が食えるか!”と親も周りも

一喝された。それを跳ね返す志はなかったと言える。

それから数十星霜経て、シニア世代で二科展の先生が親しい

友人でもあったことから趣味の範囲として描くことになる。

友人はデッサンを見てプロ養成を考えたようだが、

コチラの都合でとん挫した。

油彩画3作目である市の50回記念展で入選したことが

いささか夢を実現したと思っている。

それを掲載してみましたがご覧ください。

健康楽々くん

ちなみに小学校時代に机を並べていた絵描きを目指した

H君は日本画家で日展の審査員である。

ブログネタから想いを馳せたが、決して夢は消えてはいないと

付記しておく。

by 心とからだのカウンセラー 石井 寛

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