生前において「懺悔滅罪」の心を持たれることを進言します。

「すべては大義のためだと言い続けた昔の徳田虎雄とは

別の人になってしまったと感じた」

「子孫に美田を残さずと言い続けた人とは思えない姿だった」

苦楽を共にした側近からの話を記事で読んだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131114/crm13111412100006-n3.htm

飛ぶ鳥を落とすような存在感があった時代を知る人は隔世の感が

あると思われる。こと志を達成することも大変だが、

それを維持発展させていくことはそれ以上の努力が必要となる。

成功したかに見えても晩節を汚す人は多いものだ。

人の生き様は一生ではかるべきといえようか?

今あらためて「三国志」を読みながら感じている。

大志を抱きながらも望みを果たせぬ者、手段はともかく

権力・財力等を得て変質する者・・・

「何の為、誰のため」かを如何なる境遇になっても

「信義誠実を貫く」者等々の生き様が活写されているが、

今の時代も、いやこれからも人は変らないのだと思う。

人は生涯成長を続けていいくべき「未完の生物」なのだ。

今、市井の名もなく、美しく生きておられる人々に学ぶことは、

「人は生きたようにしか死ねない」ということです。

生前において懺悔滅罪の心持たれることを進言申し上げたい。

by 心とからだのカウンセラー

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