「私は理屈は立つけれど、どうも情が足りないとみられている」本気か?

「《君主がせっかちで気が短く、軽率で事を起こしやすく、すぐに激怒して

前後の見さかいもなくなるという場合は、その国は滅びるであろう》」と
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130725/plc13072513170012-n1.htm

引用されているが、ピタリと符合するということがあるのだ。

社会運動家として、相手に瑕疵があれば徹底して攻撃する論法には

拍手喝さいを得たこともあったであろう。

しかし単なる批判力が自らの言動となると真逆となっていたのも事実だ。

まして一党の代表から「一度やらせてみたら・・・政権交代」マスコミも

テコ入れに熱を入れた?2009年9月から想定外と言いながらのあの

東日本大震災を含めての総理&党代表の行動たるや未来に語り継がれる

醜態は・・・いやその言動から犯罪とも言われたように見識も品格も

そして人格すらうかがえない姿であったと記憶している。

とまれ、「私は理屈は立つけれど、どうも情が足りないとみられている」と

話したとあるが表面的な自覚の範囲では省みる力とはならないのだ。

この記事の論調や指摘こそが元総理の菅氏を見事なまでに表現していると

いや斬っていると思いつつ所感を書き込んだ。

いやあ~暑い暑い!

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